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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)3283号 判決

判  決

東京都世田谷区砧町七九番地

原告

一川一秀

右訴訟代理人弁護士

守屋典郎

右訴訟復代理人弁護士

関原勇

東京都世田谷区成城町四六九番地

被告

難波捷吾

右訴訟代理人弁護士

芦苅直己

石川悌二

阿部昭吾

右訴訟復代理人弁護士

久保恭孝

右当事者間の昭和三四年(ワ)第三二八三号家屋明渡等請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

一、被告は原告に対し別紙物件目録記載の家屋を明渡し、昭和三四年四月一二日からこの家屋明渡ずみに至るまで一箇月金八、〇〇〇円の割合による金員を支払え

一、原告のその余の請求を棄却する。

一訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担としその余を被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

一、主文同旨の判決と仮執行の宜言を求め、予備的に

二、被告は原告に原告の被告に対する一〇〇万円の給付と引換に別紙物件目録記載の家屋を明渡し、かつ、昭和三四年四月一二日から右家屋明渡すみまで一月金八、〇〇〇円の割合による損害金を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。

三、右請求が認められないとすれば、被告は原告に別紙物件目録記載家屋の八畳客間二部屋のうち一部屋および応接間一部屋とを明渡せ。右の場合、右家屋に附属する庭園、門、玄関、台所、化粧室浴室、便所、およびこれに通ずる廊下は原告と被告の共同使用とすること、且この賃料は昭和三六年三月一七日以降一月八、〇〇〇円であることを確認する訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に確認を除くその他の請求につき仮執行の宣言を求め、請求原因として次のように述べた。

一、原告は被告に対し、原告所有の別紙物件目録記載の家屋を次のとおりの約定で賃貸した。

(1)  契約年月日 昭和一五年一〇月一四日

(2)  賃   料 一月金一〇〇円(但し現在では八〇〇〇円)

(3)  期   間 定めなし

二、右賃貸借契約は、原告が昭和三三年一〇月一一日被告に対し、左記正当事由にもとづき内容証明郵便を以て解約申入をし、右郵便は同年同月一二日に被告に到着したので、昭和三四年四月一一日に終了した。原告の主張する正当事由の詳細は次のとおりである。

原告は先づ本件家屋を原告の長男夫婦及び義妹等に使用させたいのである。すなわち、

原告側のこの点についての事情を述べると、

原告が昭和三三年一〇月一二日以降現在まで居住している世田谷区砧町七九番地所在の建物は約三〇坪で六部屋あるが、元来この家は外国で長く暮した独身婦人が一人暮し向きに建築したもので、例えば一階などは応接間兼食堂一間とわずか二畳の女中部屋一間、計二部屋しかないので、この家を利用するには極めて不便であつた。しかし昭和三三年一〇月一二日から昭和三四年四月一一日まではこの家に原告の他、原告の妻、長男、妹姪、及び女中計六名が住んでいた。それでこの家はいつぱいであつた。

ところが、昭和三三年一〇月原告長男夫婦の縁談がまとまつたが、原告の住居は右に述べたとおり手狭であつてとうてい長男夫婦を同居させる訳にいかず、しかも原告長男は三井生命保険相互会社に就職したばかりで収入は月一万二、〇〇〇円しかないので自分の費用で他に借家を求めることも不可能であつた。そこでやむを得ず原告はすでに昭和三三年一〇月一一日被告に対し右長男夫婦に使用せしむべく本件家屋の明渡を求めたが、被告の応ずるところとならず、しかも原告長男は予定どおり昭和三四年四月一七日に結婚したので、原告は仕方なく長男夫婦を住まわせるために他にアパートの一室を借受け、原告自身が長男にかわつて右アパート借受けの権利金及び借賃(借賃は毎月一万二、〇〇〇円)を支払つているのである。

ところが原告は昭和三四年四月に予定どおり右三井信託銀行新橋支店次長の地位を定年退職し現在では日本不動産研究所に勤務するが収入は従前の三分の二に減少したため長男夫婦にかわつてアパート代を負担するのも困難になつている。

更に、昭和三三年一〇月に原告の弟一川正が死亡したので、その妻及びその子二人は生活に困り原告に扶助を求めている。原告はせめて原告の手もとに引取り居住だけでも確保して幾分でもその生活を助けたいと考えているのであるが、原告の現在の居住状態では先に述べたとおりとうてい引取ることはできないのである。従つて本件家屋を被告が原告に明渡してくれれば原告は右家屋に原告長男夫婦及び義妹等を住まわせることができるのである。

次に被告側の事情を述べると

被告は国際電々株式会社の取締役であつて(昭和三三年一〇月一二日現在今日に至るまで)、極めて多額の収入を有するものであり、しかも家族は少くわずか三名である。仮に本件家屋を明渡ししたとしても被告の如き大会社の重役の地位を有するものが自宅としてであれ、社宅としてであれ、他に家を求めることも又は新に建築することも共に容易であろう。

原告は被告に本件家屋を貸付ける際、将来自分が退職し子供が成長して一家をもうけた場合に居住する意図を有していたものであり、この原告の意図は被告においても充分知つている筈である。

原告は被告に昭和三三年一〇月一二日、本件解約申入当時若し仮に被告が本件家屋を明渡してくれれば相当の立退料を支払うとしばしば述べている。しかるに被告は一顧だにせず、また他に家屋を求めるなどの努力を少しもしていない。

三、よつて原告は被告に対し右家屋の明渡及び賃貸借契約終了の日の翌日である昭和三四年四月一二日から明渡ずみまで一月八、〇〇〇円の割合による相当賃料額にひとしい損害金の支払を求める。仮りに右記の事情をもつては未だ正当の事由となり難いとせば、立退料一〇〇万円を支払うことを以て正当事由の補充の理由としたい。

よつて予備的に原告は被告に対し、原告から被告に対する右金員の給付と引換にする本件家屋明渡及び本件賃貸借契約終了の翌日である昭和三四年四月一二日から明渡ずみに至るまで一月八、〇〇〇円の割合による相当賃料額にひとしい損害金の支払を求める。

さらに以上を以てもなお右正当事由を認め得ないならば、本件家屋は前述のように被告等三名の住居としては広過ぎるので、その余剰部分に原告長男一家を居住せしめても決して不当ではないので、原告は被告に本件家屋の一階の八畳客間及び応接間各一部屋の明渡を求めるものである。

そして本件家屋の一部明渡が認容された場合、残家屋の賃料は近隣の建物の借賃に比較して不相当に安いので昭和三六年六月九日(本件口頭弁論において一部解約の意思表示をした日の翌日)以降毎月八、〇〇〇円とする。よつて被告は原告に対し本件家屋一部明渡をすると共に後の残家屋の賃料として毎月八、〇〇〇円の債務を負担している旨の確認を求める。

以上のように第一次の請求原因並に各予備的請求の原因を述べた。

被告訴訟代理人は「原告の請求は全て棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、

先づ原告の第一次の請求原因に対しては次のように述べた。

一、請求原因第一項の事実は全部認める。第二項の事実のうち原告の被告に対する解約申入が昭和三三年一〇月一二日に到着した点は認める。その余の事実は否認する。

二、原告は自分が現在住んでいる家は手狭であつてこれ以上同居者をおく余地がないというのであるが、原告の現住居は建坪三〇坪をこえる立派なものであつて原告の家族はわずか三名をかぞえるにすぎず息子夫婦を同居させる余裕は充分にある。更に原告は長年三井信託銀行に勤務し今回多額の退職金を得て退職したものであり、原告長男夫婦のために新に家屋を購入する事は可能であろう。なお原告は他にも貸家を有している。それは本件家屋の隣にあつて木造二階建延四七坪四合一勺の居宅で神谷尚行氏が被告と殆ど同一の条件で借受けている。しかるに原告が被告にのみ明渡を求めるのは失当である。

被告は不動産を有していないのはもちろん他に財産のあるわけでもなく、本件家屋を明渡せば直に立退先に困るのである。被告は国際電々株式会社の取締役であるが、本会社は主務官庁である郵政省からその運営、経理について厳重な監督を受けているのであつて、例え取締役であるとしても重役用社宅の新築や既存社宅を自分のために要求するなどという事は絶対にできないのである。被告は本件家屋を昭和一五年以来借受け、本件家屋についても、成城町についても深い愛着を感じるに至つている。また被告は借受以来一回の賃料滞納の事実もなく、忠実な賃借人としてよくその義務をつくしてきたのである。

原告の真意は結局長男夫婦又は親族を同居させるという名目で本件家屋の明渡を求め、これを空屋にした上で他に転売し不当な利益を得んとするものというの外はない。

よつて原告の申入には正当事由を認めることはできない。

予備的請求の原因に対しては、原告が立退料として一、〇〇万円を贈与するとしても被告は右立退料を受ける意思はない。

被告は鑑定価格をうわまわる価格で本件家屋を買取る意思を有しているにもかかわらず、原告は右の買取を拒否している事情にある。

更に本件家屋は普通の日本家屋であつて、被告と原告の家族が本件家屋に同居するのは甚だ不適当である。本件家屋に関し地代家賃統制令の制限はないとしてもその精神に照して制約を受けるべきであるから原告主張の相等賃料額は争うと述べた。証拠として原告訴訟代理人は甲第一号証、甲第二、三号証の各一、二、甲第四、五号証を提出し、護人一川雅子の証言及び原告本人尋問、並に鑑定人平沼薫治の鑑定の結果を援用し、乙第一号証の一、二、及び同第二号証の成立を認め、その他は不知と述べた。

意被告訴訟代理人は乙第一号証の一、二及び乙第二、三号証を提出し、証人若菜康三、同難波薫子の各証言、並に被告本人尋問の結果(第一、二回を援用し、甲第一号証の成立を認め、被告の利益に援用する。同第二、三号証の各一、二の成立を認めると述べ、その他の同号証の成立について認否をしない。

理由

原告と被告との間に原告主張の日本件家屋につき、原告主張どおりの賃貸借契約が締結されたこと、昭和三三年一〇月一二日原告の解約申入が被告に到達したことは当事間に争いがない。

そこで右解約申入が正当の事由を有するかどうかについて判断する。

先づ原告側の本件家屋を必要とする事情について。

証人一川雅子の証言原告本人尋問の結果右結果により成立を認め得る甲第四号証によれば、原告はもと文京区駒込曙町に居住していたところ、妻雅子の実家よりの要望によりその附近に移転すべく本件家屋を建築し且当時この附近は比較的寂しいところであつたので自分の弟達家族も居住せしめる目的で本件家屋の隣地にこれとほぼ同様の家屋を建築した。しかし原告はその子の教育の便宜上容易に本件家屋に移転し得なかつたため、昭和一五年一〇月被告にこれを賃貸し、同人に将来子供が大きくなつたときは原告において使用する予定である旨の意向を洩らしたこともあつた。昭和一六年の秋頃妻雅子の実父が商工省の嘱託でマレー方面に資源調査で駐在するに及び近所に来るようにとの要請があつたのでその附近に移軽すべくまず被告に対しその明渡方を求めたが拒絶されたので、原告は現住居に移転するに至つたこと。原告の住居は建坪三七坪程あるが、永らく外国に居住していた独身婦人の特殊設計による家屋で階下は板敷の大食堂の外二畳の女中部屋があるのみで階上は八畳二間六畳、四畳半各一間に分れているが畳敷きは八畳と四畳半各一間で、他はすべて板敷であり。各部屋の間に廊下がないので多数家族の同居には極めて不便であり、当時原告の姉に当る未亡人松本秋子や原告の妻雅子の姪奥田明子も扶養するためここに同居せしめていたので、原告の長男が結婚したがこの新夫婦をこの家に同居せしめるのは困難であつたのである。

そこで原告はこの長男夫婦のためアパートの一室を賃借し、現在でも一箇月一万四〇〇〇円の賃料を負担している。原告は昭和三四年四月三井信託銀行新橋支店次長を定年退職したが退職金も清算してみると幾程もなく、新夫婦のため家屋を新築してやる費用を出捐することも甚だ困難であり妻雅子はガイドをするとはいえ高血圧症で殆んどアルバイト的仕事しかできないこと、これに加え原告の実弟が永らく癌を患い昭和三三年一〇月頃死亡したのでその妻や遺子二名に扶助をする必要もありその住居を確保してやりたいが原告との同居も前記事情で甚だ困難であること、原告は右退職後、日本不動産研究所に勤務するに至つたが月収六、七万円を得る外は格別の収入もないので子供夫婦に対するアパート賃料の負担も次第に苦しくなりつつあること、原告は現居住の家屋の外他に本件家屋、これに隣接するほぼ同様の家屋を所有し他に賃貸していること、そこで原告としては、前記実弟の遺族一家や息子夫婦を本件家屋に居住せしめることを熱望していること、以上の事実を認めることができる。

次に被告側の本件家屋を必要とする事情について。

証人若菜康三、同難波薫子の各証言被告本人尋問の結果(一、二回)右本人尋問の結果(一回)により成立を認め得る乙第三号証によれば、被告は昭和二八年の法律に基いて、設立せられた国際電信電話株式会社の常務取締役の地位にあり同会社より受けた昭和三四年分給与は給与手当一四四万円賞与七二万円合計二一六万円であり、これが徴収税額は四六万九七〇円であること、被告方は被告夫妻の外二男の三名が本件家屋に居住し長男は脳神経症で堺市在の病院において治療中であり近い内に本件家屋に帰来居住する予定であるが、この長男に対し毎月二、三万円の仕送りをしていること、被告は取締役といつても被告勤務の会社はいわゆる政府の代行機関としての特殊会社であるので重役の給与も上級公務員並であり、社宅なども給せられない事情にある。右給与の外は被告は不動産を有しないし、他に見るべき財産もないので他に居宅を求めることは甚だ困難である。被告は二〇年以上本件家屋に居住し、この土地に大いなる愛着を感じている。また家賃の支払いも滞ることなく誠実に借家人としての義務を尽したこと、さらにこの二階の書斎は被告にとつては電波の計算或は国際会議の論文に目を通すなどに格好の研究室であると思つていること、

以上の事実を認定することができる。

被告が本件家屋を明渡さないと、原告はその生活をおびやかされる程度の重大な損害を被るようなことは全証拠によるも認めることはできない。しかし現住家屋の特殊性からしてここに原告夫妻の外原告の姉姪が同居している以上原告の長男夫妻をさらに同居せしめるには手狭まであり、この上原告の弟の遺族達を引取ることは困難であるとはいえるし、原告程度の事柄においては子供夫婦を別居せしめ、これがアパートの使用料などを親において負担してやるようなことは、さまでぜいたくな行為ともいえない。停年退職して収入の減少した原告にとつては子供夫妻原告の実弟の遺族を本件家屋に居住せしめないのは無理からぬところである。被告は多年本件家屋に居住しこの附近の一帯の土地に愛着を感じていること、さらに本件家屋は被告の研究室に使用されており、債務不履行もない借家人に対し退去を迫る貸家人の要求には甚だしい腹立たしさを感ずるのも無理からぬところである。しかし被告もこの家を除いては他に研究室を得られないような特別な事情は発見されないし、永らく同一家屋に居住している者が、その附近土地に愛着を感ずるのは敢て稀有の事例ではなく被告にだけの特別の事情を認めるに足る資料もない。結局被告において本件家屋の明渡しを拒否する正当なる事由としては他に住居を求めるための経済上の理由に帰するという外はない。なる程被告は有数な会社の取締役であつても他の一流会社のそれに比してその給与は必ずしも多いとはいえないけれども現在のわが国状からいえば年収二〇〇万円以上は高額所得者として他に特別の事情のない限り自らの費用において他に住居を求めることが甚だ困難であるとは称し得ないし特に被告においては前記認定の扶養家族の少数であることからみてもこのことは容易に肯ける。したがつて本件の場合においては賃貸人からいわゆる明渡料の交付を以て明渡の正当事由の補足原因とすることは適当ではない。また終戦直後のような住宅の絶対的不足の時代とは異なり今日においてはその経済さえ許せば他に住居を求めることは左まで困難とは称し得ない。この公知の事実は正当事由の判定に大きな意味を持つことを無視してはならない。

原告においても是非ともこの際被告よりの明渡しを得ねばその生活を危殆ならしめるといつたような急迫の事情のないことは前認定の通りであるが、原告が本件家屋の明渡しを求めてから数年を経過した今日に至るまで被告は他に住居を求めるについていささかの尽力もしていないこと(被告本人尋問の結果(二回)から認定できる)本件明渡訴訟の係属中被告は原告に無断で被告所有自動車のガレージを本件家屋敷地内に建築したこと(被告本人尋問の結果(二回)から明認できる)などは賃貸借関係の信義誠実の原則にもとるものと称し得べく、かような事情を加味して考察するならば本件明渡の正当事由は原告側にあるものと認めるのが相当である。もし被告にして経済上どうしても他に移転することができないとするならばそれは被告を重役として遇する前記訴外会社においてその責を負うべき別問題となろう。

被告は本件原告の解約申入れははんぱな行為である旨の抗争をする。なるほど、原告は本件家屋の隣接地に本件家屋と同様な家屋を建築所有し現在訴外神谷某に賃貸していることは原告の争わないところである。ただ訴外神谷は法務省勤務の公務員でありその給与も被告に比して可成り低いし、また同訴外人はその借家にて、妻と母、子供三人弟妹各一名を扶養している。(このことは原告本人尋問の結果(一回)からも認容できる)。かような事情からすれば、原告がその明渡の対象を被告に求めたのは相当であり決してはんぱな行為とは称し得ない。

以上の理由に基づき、当裁判所は原告の本件解約申入には正当の事由あるものと認めた。さらに被告は右解約の効力を生じた日の翌日以降明渡しに至るまで賃料相当の損害金の支払いをする義務あるものと認められるから、本件家屋の明渡しと右損害金の支払を求める原告の第一次請求は全部認容すべきものとし、民事訴訟法第九条を適用し主文のように判決する。

但し仮執行は本件において適当でないのでこの宣言をしないことにした。

東京地方裁判所民事第一六部

裁判官 柳川真佐夫

物件目録(省略)

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